とんぼの眼玉
~とんぼ玉~ Ancient & Antique Glass Beads
古代から近代のアンティークのとんぼ玉をご紹介します
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● 古代フェニキア●
古代フェニキア諸都市、レヴァント等の地中海東岸では多くのとんぼ玉が作られていました。地中海西岸のフェニキア人都市国家カルタゴ(現チュニジア領)周辺でも、多くのとんぼ玉が作られました。フェニキア玉と呼ばれています。
これらのとんぼ玉は、商業民族であったフェニキア人の主な輸出品の一つとして知られ、広く流通しました。
フェニキア玉には同心円文のとんぼ玉(重層貼眼玉およびモザイク嵌眼玉)と、人頭のとんぼ玉の2種があります。人頭とんぼ玉は主に地中海周辺域のみから出土しますが、同心円文のとんぼ玉は広くユーラシア大陸の西半分(コーカサス、トルコ、シリア地方以西)から出土し、交易により広く伝えられていった状況を示しています。
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● モ
ザイク嵌眼玉
Phoenicia, 6th-3rd century BC Wound glass with mosaic glass inset
Hight: 2.0cm Diameter: 2.4cm
薄いブルーの胎に黄色のモザイク眼。 5個×3段 計15個の眼が象嵌されている。
あらかじめ作っておいたモザイクの眼(同心円モザイクガラス棒をスライスしたもの)を玉に象嵌する手法で作られています。同心円状のモザイク棒を芯方向に垂直に埋め込み、玉表面でカットした、という説もあります。 大変精徴な作りです。 重層貼眼玉に比べ数が少なく希少なものです。
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同様の手法は、イラン・ギラーン州出土の玉(BC4-3世紀:アケメネス朝ペルシア‐セレウコス朝シリ
ア)、メロヴィング玉(AD6-7世紀:フランク王国メロヴィング王朝)等でもみられますが、紀元後のものは紀元前のものほど作りが精徴ではありません。 |
関連リンク : フェニキア玉の画像▼
ルーヴル美術館(パリ)所蔵 人頭とんぼ玉
コーニング・ガラス美術館(米・ニューヨーク州コーニング)所蔵 人頭とんぼ玉
コーニング・ガラス美術館(米・ニューヨーク州コーニング)所蔵 人頭とんぼ玉
コーニング・ガラス美術館(米・ニューヨーク州コーニング)所蔵 人頭とんぼ玉
コーニング・ガラス美術館(米・ニューヨーク州コーニング)所蔵 人頭とんぼ玉
- * フェニキア Phoenicia
- 地中海東岸の一地方の古代名。現在のレバノン海岸に相当。住民はフェニキア人と呼ばれ、民族の系統はカナーン人と考えられている。
フェニキア人は、ビブロス、シドン、ティルス等の都市国家を建設したが、各都市は独立しており、ゆるやかな連合を形成していたらしい。紀元前12世紀頃から地中海域で交易者として名を馳せ、前9世紀までにギリシア人に先駆け地中海沿岸 (北アフリカ、イベリア半島、サルディニア島等) に広く植民した。航海者としても名高く、アフリカ南端まで到達していたという伝説もある。
主な輸出品は、材木(レバノン杉)やティリアン・パープル(帝王紫)の布、ガラスビーズで、キプロスの銅、ブリテン島(イギリス)の錫、イベリア半島の銀、アフリカの金、貴石、象牙、香辛料等と交換した。
前8世紀以降、フェニキア諸都市は独立を失い、アッシリア、新バビロニア、アケメネス朝ペルシアに次々と服属し、その下で交易に従事した。アレクサンドロス大王が前333年にフェニキアを征服した際ティルスは壊滅的打撃を受けたが、シドンを始めとする都市は、その後のセレウコス朝シリアやローマの支配下でも自治を認められ、商人として交易に従事した。
- * カルタゴ Carthago
- 紀元前9世紀にフェニキアのティルス市Tyrus, Tyreがアフリカ北岸(地中海西部)に建設した植民市。現チュニジア領。前6世紀から交易で繁栄し、前4世紀に本国が衰退した後も繁栄を続け、地中海のほぼ全域(北アフリカ、イベリア半島、サルディニア島、シチリア島西部等) を制した。
カルタゴは地中海域の覇権をローマと争い、第3次ポエニ戦争(前149-前146)で滅亡。その後、廃墟と化したカルタゴの地にローマが植民都市を築き、ローマ属州「アフリカ」の中心地とする。現在残っている遺跡は大部分がローマ時代のものである。
- * ティリアン・パープル、テュロス紫、ティルス紫 Tyrian purple
- 古代地中海域で、巻貝の一種・アクキ貝科の貝の分泌液を用いて染めた赤紫色。この「貝紫」の織物はフェニキアの主要な輸出品のひとつで、「ティリアン・パープル」の名は、フェニキアの都市国家ティルス(テュロス)Tyrusに由来する。
大量の貝からごく少量の染料しか得られず、きわめて貴重かつ高価な染色であった。アレクサンドロス大王やシーザー等、権力者が身に着けたことから、ロイヤル・パープル(帝王紫)ともいわれる。ローマ帝国では皇帝や元老等、わずかな人々しか帝王紫の衣服を身に着けることは許されず、皇帝ネロは帝王紫の着用者、販売者を死刑にしたとされる。また、クレオパトラは、自分の船の帆を、この色で染めたと言われている。
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