インドネシアのとんぼ玉は一般に「ジャワ玉」と呼ばれています。
「ジャワ玉」の歴史については、各国の研究者により、見解が大きく異なっています。
欧米では、13世紀末から16世紀(マジャパイト王国時代)、もしくは、その少し前のものとされています(『The History of Beads』等)。インドネシアの研究者は、9-10世紀頃(シュリーヴィジャヤ王国時代)と考えています。日本の研究者は、もっと時代が下って16-18世紀のものではないかとしています。
制作地についても、インドネシアで制作されたものであるとか、イスラム圏やヴェネチア等から流入したとか、様々な説があり、はっきりしていません。
古代インドのビーズ生産については資料が少ないのですが、紀元前7世紀頃(一説では紀元前10世紀頃)からガラスビーズの生産が行われ、紀元前3世紀頃には量産されるようになったと言われています。
瑪瑙等の石製のビーズはガラスビーズよりも前から生産されていました。
これらのビーズは、主にアフリカ交易用の交易品として使われました。
インドとアフリカ東岸の間では、古代から季節風(貿易風 Trade Wind)を利用した季節風貿易が行われており、これに用いられたため、"トレード・ウィンド・ビーズ Trade Wind Beads"と呼ばれています。"Indo-Pacific beads"とも呼ばれます。
同様のビーズは東南アジア(タイ、ジャワ、スマトラ、マレーシア等)にも流入し、特に、"インディアン・レッド"と呼ばれる赤褐色のビーズは、東南アジア向けに輸出されていました。
インドの交易用ビーズは、17世紀頃までアフリカ等に輸出されていましたが、17世紀半ば以降、ヨーロッパ各国による植民地化が盛んになってからは、インド玉に替わりオランダ玉等が交易に使われるようになりました。